2009年10月5日深夜0時29分。癌で入院していた男性が天に召された。
彼は、10年前、三段壁で保護され、人生をやり直しこの日まで精一杯生きた。
三日間、トイレの水だけを飲んで死ぬことを考え、絶壁に座り続け、日焼けで唇がパンパンに腫れ上がり、体中が真っ赤に火傷している状態だった。死に切れず、しかし衰弱して動けず、失意の内にただ座り続けていたのだ。
四日目の夜、観光客らしい数人の若い女の子の一人が、通り過ぎた後、戻ってきて、彼の前に立った。「馬鹿なこと考えたらあかんよ。死んだらあかんよ。」女性はそう言って2,000円を手渡してくれたそうだ。彼は、翌朝、そのお金で、ご飯を食べ、うちに電話をしてきたのだ。それから9ヶ月で自立。
3年前に倒れるまでホテルの警備員や掃除の仕事を続け、自立した生活を送った。3年前、脳梗塞で倒れてからは長期療養生活だったが、彼はその間も精一杯生きた。今年7月癌が見つかり、余命2週間と宣告された。しかし、それからも10月までがんばったのだ。
この数ヶ月、毎日のように二人で話していたのは「この10年よくがんばってこれた。生きてきてよかった」そして「10年前声をかけてくれた女性に感謝やなあ。」というものだった。死の縁で苦しんでいた彼に、声をかけできるだけの助けの手を差し伸べてくれた女性は、男性がその後送ったこの10年の歩みを知らない。
しかし、この男性の人生を変えたのは、たった一度声をかけ、できる限りの助けを差し出したこの女性だったことは誰も否めない。この男性は9月には信仰告白に至り、病床洗礼を受け、天に帰る希望を持って死を迎え、この10年間、彼を見守り支えた教会の人々に斎場で見送られた。
現在、この男性は、ご両親のお墓に埋葬されている。葬儀の一ヵ月後、男性の行方を知った妹さんから電話があり、翌日に遺骨を引き取りに来てくれたのだ。
最後の10年間が幸せな10年間だったと共に喜ぶことができた。逝く側も看取る側も納得して死を迎えられることがどれほどうれしいことか深く考えさせられたケースだった。

ごあいさつ

今年も全国の自殺者数は3万人を超えました。1979年に江見太郎師によって始められた「白浜いのちの電話」。1999年にその働きを引き継ぎ「白浜レスキューネットワーク」を立ち上げました。現在も十数名と生活を共にしつつ、救済自立支援を行っています。私達は孤独を感じ、行政の支援の枠に当てはまらない、社会の隙間にこぼれ落ちてしまった人々に働きかけていきたい。そのためにもこの働きを知り、支えてくださる方を切に求めています。どうかあなたも手を差し伸べて下さい。彼らがまた、歩き出すために。

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